1995-05-18 第132回国会 衆議院 予算委員会 第29号
我が国というのはやはりきちっと検証を重ねてきていないということが問題だと思いますので、昭和四十年の二月の予算委員会なんですけれども、そこで社会党の岡田春夫さんが、通称三矢事件と言われる爆弾発言をした。
我が国というのはやはりきちっと検証を重ねてきていないということが問題だと思いますので、昭和四十年の二月の予算委員会なんですけれども、そこで社会党の岡田春夫さんが、通称三矢事件と言われる爆弾発言をした。
うちの岡田春夫さんの理解が間違っていたということにこれを読むとなるんだけれどもね。間違っていたら直さなきゃいかぬけれども。「理解が間違っていた。自分たちのやっていることを隠すと、何をやっているのかわからなくなる。したがって知らせるべきである。記者諸君、皆さんの御協力をお願いする。」という出だしなんです、話は。林崎さんは海上幕僚長ですよ。
もちろんそのときの議事録等を通じて、それから岡田春夫議員が出した資料というものは今残っておりまして、それがそのものであるかどうかということについては、私どもまだ、資料を廃棄してあったものですから認定できないということで、私どもとしては、当時防衛庁として、昭和三十八年度統合防衛図上研究(三矢研究)についてという文書を御提出しまして、自衛隊は毎年防衛計画を立てているけれども、三矢研究は防衛計画ではないということと
北海道の横路君のお父さんあるいは飛鳥田さん、岡田春夫さん、石橋政嗣さん、やったでしょう。あれだけ厳しくやったんでしょう。政府が発表しておるでしょうが。あのうち駆逐艦ヒューイット、そこから出ておるでしょうが。これは外務省の資料ですよ。今あなたが言ったようなことが書いてあるよ、言わぬでもいいようなことを。「質問の「母港」の意味が定かでないが、」言うとおりだ。
昭和四十年二月十日の予算委員会で、私どもの尊敬する亡くなられた岡田春夫委員が、これも亡くなられた佐藤総理とやり合いした、ここで。五カ月間やり合いした。いわゆる三矢作戦計画です。あの中に、七日間を想像させるような見本があるでしょう。宮下さん、どうですか。あるでしょう。どうなっていますか。何日になっていましたか、あれは。
私はまだバッジをつけていませんでしたが、当時は田中通産大臣で、副議長をやった今は亡き岡田春夫大先輩と一緒に私は田中邸に行ったことがあるんです。そのときに田中通産大臣が、後の総理がこう言ったことがあるんです。炭鉱というものは、これはもちろん物体エネルギーですからやっぱり限界があるんだ。だから、限界があるということは山の寿命が来るんだ。それは君ら専門家だからわかっているだろう。
実は私、北海道の夕張の出身でございまして、昭和六十一年の七月の選挙で初当選させていただきまして、社会党ではもう党派を超えて有名でありました岡田春夫代議士の後継ということで、おかげさまで今二期目、それなりに石炭問題も含めて頑張っている人間でございます。
元本院副議長岡田春夫君は、去る六日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 同君に対する弔詞は、議長において今十二日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
————— 委員の異動 十一月十二日 辞任 補欠選任 小林 守君 斉藤 一雄君 竹村 幸雄君 貴志 八郎君 同日 辞任 補欠選任 貴志 八郎君 竹村 幸雄君 斉藤 一雄君 小林 守君 ————————————— 本日の会議に付した案件 議員請暇の件 国家公務員任命につき同意を求めるの件 元副議長岡田春夫君逝去
次に、議長から、改元副議長岡田春夫先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、弔詞を朗読されます。 本日の議事は、以上でございます。
○中西委員長 次に、元副議長岡田春夫君逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る六日、元副議長岡田春夫君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、理事各位の御了承を得まして、本日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。
昭和四十年、岡田春夫元副議長が三矢作戦をやった。このときに、その交戦規則が問題になった。交戦規則はあるのです。ある。フライングドラゴンという作戦計画が問題になった。これも文書としてある。しかし、これは機密だから出せない、こうなった。じゃ、いいですか、自衛隊が有事のときに指揮権を発動する、それは今は何によっているのですか。何の訓令によっていますか。名前を挙げてください。
○肥田美代子君 その布告に関連いたしましてお尋ねするのですが、昭和四十九年十二月十九日、衆議院の予算委員会で我が党の岡田春夫委員が、ナミビアのウラン鉱石を八千二百トン購入する計画について質問いたしております。そのやりとりの中で、先ほどお尋ねした布告との関係で、ナミビアからのウラン鉱石の購入は布告に従って今後処理する、すなわち購入しないと当時の三木総理がお答えになっていらっしゃいます。
○岩垂委員 たしか一九七四年の十二月だと思うのですが、衆議院の予算委員会で我が党の岡田春夫議員の質問でナミビアからウランを輸入している問題について追及があって、これについては「国連決議に従って今後は処理する」というふうに当時の三木総理大臣、宮澤外務大臣がお答えになっています。現在、日本の電力会社はナミビアのロッシング鉱山のウランを使ってはいないと思いますけれども、使っていないと断言ができますか。
瓦長官、あなたは、昭和四十年本院において、我が党の先輩議員岡田春夫氏が、自衛隊の当時の統幕事務局長を長とする制服グループが極秘のうちに研究立案していた三矢研究計画というものの存在を明らかにし、時の政局を揺るがす大問題となったことは御記憶かと思います。
○千葉景子君 この問題については、従前から総合的にアイヌ民族問題を考えるような審議機関が必要ではないかと言われておりまして、先輩の岡田春夫議員からもこのような質問が再度なされまして、五十年には福田国務大臣が、年度内という期限を切ってお答えすることは困難だけれども、審議会の設置について前向きでは考えてまいりたいと、こういう御答弁もなさっています。
我が党の先輩の岡田春夫さんという方がその問題を追及されたわけですが、この仕組みはあの三矢作戦計画と何だ結局同じじゃないかと私は思ったわけです。そして、そういうことが防衛庁当局によってどんどんと進められておる。しかも今度は防衛庁部内でやっておるだけでなくアメリカとやっておる。
また、三十六年四月二十六日、衆議院の委員会におきまして、岡田春夫前衆議院副議長でありますが、岡田議員が中川条約局長に質問をいたしました際に、事前協議はもちろん双方から申し出ができる、明確に答弁をいたしております。
○竹下内閣総理大臣 昭和三十五年、安保特別委、私も一年生代議士でございましたが参加しておりまして、岡田春夫先生が鋭く質問されたような事実は、私の脳裏には残っております。したがって、私が今整理して申し上げたのは、いわゆるその後の過去の経緯というものが、今日の今の私のお答えとなっておるところであります。
それから、ただいまの御質問の点でございますけれども、この空母ミッドウェーにおきますウエポンズディビジョンの問題というのは、今日初めての問題ではございませんで、昭和五十年二月七日に、当時、岡田春夫議員からの質問がございまして、政府委員からこの点に関しては米側に照会した結果としてお答えしておるわけでございます。
○山口(鶴)委員 我が党の代議士を長らくされ、衆議院副議長も歴任せられました岡田春夫先生が、最近、御本をお出しになりました。その本の中にこの今私が述べたことが明確に出ております。政治評論家の方は実名まで挙げて書いてございますが、あえて私はここでは申しませんでした。そうして、この岡田春夫先生が、 「君らは本当に単独講和に反対を通すのかい」と聞くと、園田さんは「もちろんだよ。
御指摘の答弁は、当時質問者が岡田春夫委員でございましたが、当時の三木・フォード共同新聞発表第三項について言及し、米韓相互防衛条約と日米安保条約とが連動して韓国の平和のために作用を及ぼすということを明確にしておるのではないかというような点等も指摘しつつ、自衛隊と在韓米軍との共同訓練の可否をただしたのに対しまして、そういう中で防衛局長が否定的な見解を述べたわけでございます。
ずっと前のことを調べておりましたら、我が党のおやめになった岡田春夫さんが予算委員会の分科会で取り上げられたことがございまして、そのときに、斎藤厚生大臣、それから江崎北海道開発庁長官という時代でありましたが、そのときの問答の結果は、このような法律などはやはり廃止をすべきである、同時に、さまざま今必要な態様が現実に存在する、したがって、それらを相談するためにアイヌ問題審議会というふうなものを厚生大臣の諮問機関
○高沢委員 私の記憶によれば、これは昭和五十年のことでありますが、当時の我が党の岡田春夫委員の質問に対して、当時の防衛局長丸山氏から「自衛隊の立場で在韓米軍と訓練をするということはできないというふうに判断しております。」こういう答弁がなされております。これは大臣いかがお考えですか。